人と自然の芸術品、丹波篠山黒豆
丹波篠山特有の気候風土で育った丹波篠山黒豆は、黒大豆の中でも一番の大粒種です。
お正月のおせち料理に、また年間を通じての煮豆用として重宝されています。
丹波篠山が味と品質で全国に誇る折り紙つきの逸品です。
日本農業遺産に認定された「丹波篠山の黒大豆栽培」
丹波篠山の歴史と伝統を守る黒大豆栽培
300年の歴史
市内では、古くから黒大豆が特産物として生産されてきました。
この黒大豆が資料に登場するのは、1730年(享保15年)に刊行された料理本「料理(りょうり)網目調味抄(もうもくちょうみしょう)」です。
この中で、「くろ豆は丹州笹山の名物なり」「黒豆丹州笹山よし押て汁煮染」と記され、当時から優れた特性を持った商品価値の高い特産物であったことがうかがえます
日本一の産地
「丹波黒」(子実用)の栽培面積は西日本を中心に3045ha(平成30年)栽培され、兵庫県と岡山県で82%を占めています。
また、市町村別にみると丹波篠山市が557haと全国の20%近くを占め、名実ともに日本一の産地となっています。
引き継がれている協働の風土
丹波篠山市の「丹波黒」の栽培面積は1960年(昭和35年)にはわずか10haでしたが、減反政策が始まった1971年(昭和46年)以降、米に代わる収益作物として水田に導入され、2019年(令和元年)には枝豆用も含めると777haとなっています。
この背景には、「堀作」により培われてきた黒大豆の栽培技術のほか、「生産組合」での共同防除や機械・施設の共同利用などといった集落のみんなで助け合う協働の風土が現在に引き継がれています。
日本農業遺産に認定
丹波篠山市農業遺産推進協議会(丹波篠山市、JA丹波ささやま、県丹波県民局、市認定農業者連絡協議会など)が申請していた「丹波篠山の黒大豆栽培~ムラが支える優良種子と家族農業~」が令和3年2月19日、「日本農業遺産」の認定を受けました。
認定された伝統的な農業システムは、次の二つが柱となっています。
①犠牲田での「堀作」と「高畝栽培」降水量が少なく、用水が不足するため、みんなで話し合い、助け合い、ムラの中の一部の農地にあえて配水しない「犠牲田」を設けた。
さらに、この犠牲田を坪(水系)単位で土を堀上げ乾田化する「堀作」と、高い畝をつくる「高畝栽培技術」を組み合わせた「乾田高畝栽培技術」により黒大豆を栽培し、今日においてもこの栽培法が引き継がれている。
②優良な種子の「選抜育種」
いろいろな形質を持つ黒大豆がある丹波篠山地域では、古くから個々の農家でよい種を選び出してきた。特に江戸時代末期から明治時代にかけては地域の篤農家であった波部六兵衛・波部本次郎親子が優良な種子を選抜し「波部黒」と名付けて郡内の農家に配布し、栽培を奨励した。この取り組みが郡農事試験場や県農事試験場へと引き継がた。現在では丹波篠山市黒大豆優良種子生産協議会へと発展し、多様な遺伝資源を官民連携して守っている。
日本一の黒豆産地の街として
近年、台風や夏場の高温、干ばつなどの気象災害、さらには立枯れ病の発生やカメムシによる不稔莢の発生などにより収量や品質の低下がみられるようになってきました。また、栽培者の高齢化や農業従事者の減少も急速に進んでいます。
このため、全国の「丹波黒」の栽培面積(子実)は2000年(平成12年)をピークに減少しています。しかし、丹波篠山市においては、逆にこの20年間で88ha増加し、枝豆も含めると179haも増加しています。
これは、他産地に比べより大粒で高品質な「丹波黒」づくりに取り組んできたこともありますが、一番大きな要因は、一人一人の生産者が常により良いものを作ろうとする熱い思いや協同の精神が産地の底辺にしっかりと根付いていることです。さらには、関係機関や関係者、それに丹波篠山地域全体が「丹波黒」を大切に育てているからです。
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